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現在は城西大監督を務める櫛部静二氏
「スポーツ科学を指導の現場に取り入れる方法は現役時代の後半からずっと模索していました。それが形になってきた手応えがあります。日本の長距離界はこれまで走行距離に頼るトレーニングが主流でした。昔はそれで結果が出ましたが、今、世界のトレンドはそこにはありません。トップ選手は科学を駆使した高強度のトレーニングを計画的に行っています。
かつて長距離の世界では必要ないと言われていたウェイトトレーニングもスピード強化のために今は一般的となりましたし、世界に追いつくためにはそうしたことが必要なのです。大切なのは古い考えに固執するのではなく、常に新しい方法を学び、取り入れていくこと。大学での指導は4年間だけではありますが、世界と戦う基礎作りをするために、常にチャレンジを続けたいと思いますし、その必要性を発信していきたいと考えています」
背後に見えるのは、櫛部氏がかつて自作した低酸素環境のトレーニング装置
2016年リオデジャネイロ五輪10000mにOBの村山紘太(現GMOインターネットグループ)が出場し、同じくOBの山口浩勢(現加藤学園高校陸上部顧問)は東京五輪での3000mSC出場を目指し、卒業後、自ら櫛部の指導を求めて、城西大学でトレーニングを積み、その日本代表の座を勝ち取った。
「私も駅伝の魅力に取りつかれた人間ですが、やはりオリンピックはそれ以上の興奮があります。教え子がそこで走れることは何よりの喜びなのです」
世界を目指す話をするときの櫛部はいつも笑顔だ。
オリンピックの舞台に選手として立つことはできなかったが、指導者となった今もその夢は変わらない。箱根駅伝の先のストーリーを選手とともに紡ぐべく、奮闘する毎日だ。
#1から読む 「悲劇の主人公のような扱いは嫌でした」箱根駅伝2区で大ブレーキ、櫛部静二が明かすアクシデントの“その後”「自分のために走ろうと決めた」
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現在は城西大監督を務める櫛部静二氏
現時点で秀でた能力を発揮していなくても、卒業後に飛躍する選手はいるはずで、そうした逸材を発掘するためにも「世界」と言い続けなければならない。それが櫛部の最大の指導方針だ。言葉だけではない。自身の経験も踏まえ、世界へのアプローチの方法も作り上げてきた。
「私は30代になって初めて海外で高地合宿をしました。標高2000mを超え、ジョギングするだけで息が切れるような酸素の薄い環境で、“ここで練習していれば強くなるはずだ”と思う一方、“私たち日本人も同じような環境で練習しなければ、到底アフリカ勢には追いつけない”と感じました。